こんにちは
ヨガひこです。
もうすぐヨガのRYT200というインストラクターの資格が取れそうです。
でもここに来て、「自分なんかがヨガのインストラクターとしてやっていけるのだろうか。」と不安になりました。
いろんな人が称賛してくれたって、自分だけは誤魔化せません。
自分がまだまだ不十分だということは、自分が一番分かっています。
今回は、「変化に対してびびったらどのようにすればいいのか」について一緒に考えてきましょう。
変化はダサいもの
変化というのはすごくダサいものです。
だってできないことを、やろうとしているわけですから、当たり前です。
自分の中でも違和感があるもんです。
特に僕の場合、頑張りたい対象がヨガなんですけど、
ヨガの世間的なイメージって
「女性っぽい」とか、
「スピリチュアル」とか、
「美しい」とかです。
僕は
「熱くて男くさいものが好き」やし、
「科学的で理屈っぽい」し
「ひたすらかっこつけ」やし笑
ヨガは、僕の逆の存在という感じなんですよね。
ヨガは調和の考え方を重んじていて
力強さと柔らかさが必要です。
僕が人に見せたいのはいつも力強さの部分で
今まで、柔らかさを表現してこなかったです。
だから要するに結構恥ずかしいんですよね笑
でも、「かっこいいもの」をかっこよく伝えるのは簡単かもしれんけど、
「かっこいいもの」を柔らかさで伝えることができるのはヨガだけやし、
それができるのは俺だけ
と思えば、その地味さ、ダサさも含めてかっこいいんかなとかも思うわけです。
ていうかそう言い聞かせています。笑
だから、変化はいつもダサいけども
そのダサさの中に、
自分なりのかっこいいを見つけて、
それに酔うことができれば、
自信がなくても、
ダサさに打ち勝っていけるのかなあと思います。
変化は仲間をなくす
変化は仲間がいなくなるんですよね。
結果として
「本当に信頼できる仲間ができる」と言うのは後から言えることであって。
その瞬間は仲間がいなくなるんですよね。
例えば海外に行くってなったら、
友達や家族と離れないといけないし
理想の自分になるために、
関わっていても仕方ない人とは、
会う機会を少なくしていかないといけないわけで
僕も「価値観あわない」「自分をわかってもらえない」
と言う理由で会う機会を少なくしたり、大切な人を傷つけたりしてきました。
確かに理解される人が減ることは悲しいです。
でも元々人間なんか一人やねん。
自分で乗り越えていかなあかんねん。
仲間はいなくなるけど、
自分だけは絶対に自分のことを信じてあげたらいいんちゃうのということです。
あるいは理解者だけが仲間じゃないと言う考え方もあります。
批判してくる奴も
地球上に生まれた、共通の恐怖対象である死に向かっている存在だと思えば、
ある意味仲間とも呼べる。
まあこれは無理矢理過ぎますけど笑
変化はその瞬間、仲間をなくすけど、
気づいたら仲間はそこら中にいるし
「自分が自分のこと信じて生きる覚悟」の方がむしろ大切です。
だから万人に受け入れられようとするな。
そうでなくてもお前はお前でええねん。
てことなんですよね。
変化は死である
変化っていうのは死そのものです。
例えば、バリに行く前 俺は、
バリは楽しそうとか、
安いものがいっぱいとか、
観光地、
綺麗なところ
と言うイメージしかなかったです。
ところが実際行ってみて気づいたのは、
バリの経済状況、
貧困性、
物乞い文化、
東南アジア独特の匂いなど、
嫌な部分ももちろんみるわけで。
(バリ島は人がニコニコしていて、波もいいしむしろ好きなんですが)
とにかく、バリに幻想を抱いてた自分にはもう戻れません。
これって死と言っても過言ではないでしょう。
バリに幻想を抱いてた自分が死んだと
もう一つ例を挙げてみると
病んでいた時の自分が感じていた、
無気力感というのはもうなかなか感じれません。
これって喜ばしいことやけど、どこかでちょっぴり寂しかったりして。(幸せな悩みやけど)
今までの感覚で生きてきた自分が死んでいくようにも捉えられるわけなんですよね。
高校の時、アホみたいに走って死に物狂いでサッカーしていた自分にはもう戻れなくて、
衝動的に人のことを好きになることもなかなかもうできなくて
賢くなってしまったことによって、計算しながら人生を生きてしまう。
経験したことによって得た落ち着きは、パッションすらも失わせているんじゃないかと思うと結構怖いんですよね。
だとしたら、今の
お金がなくて苦しい
うまくいかなくてだるい
頑張れなくて悔しい
と感じている自分もいつか消えてしまうのやとしたら、なんだか寂しくなるんですよね。
でもそれが歩みを止める理由には絶対ならないし、なってはいけないのもわかってます。
変化が死なんやとしたら俺ができることは
もう死に続けると覚悟すること
ハラワタがひっくり返るくらい
この一瞬を生きて死んでやろう
寂しい、切ない、辛い、苦しい
全部背負って、
この感情と一緒に駆け抜けてやろう
て感じなんですよね笑
まとめ
つまり何が言いたいかというと
ビビっていることにビビるな
ビビりながら進もう
ということです。
変化に対してビビってしまっても
ビビってるという事実から目を背けず
やり続けるしかないのです。
変化はいつもダサいし
変化はいつも仲間をなくすし
変化はいつも死である
でも変化を恐れて何にも行動しないのは、
死ぬこともできない停滞でしかないと。
それは自然の摂理に反しているんですよね。
だから、毎日、毎秒必死で生きるしか
俺らに残された道はないんです。
一緒に頑張りましょう。
どうせ死ぬなら情熱的で面白い方を選ぶだけです。
コメント