エロ=卑猥ってほんま?

ココロ遊び

こんにちは。オーストラリアの良さに改めて気づいた成彦です。何がそんなに幸せなんかとふと考えるといくつか要素でてきました。

まずは賃金ですね。これはやっぱり外せないです。今は贅沢していないので週$300くらいで全てまかなえます。で給料が$1000くらいなので、1週間に$700(7万円)くらいは溜まっていくんですね。まあ、1人やし、友達ともあんまり遊ばずサーフィンしてヨガして仕事してなんでそんなもんですね。

次に雰囲気です。僕って全然綺麗好きじゃないし、汚れてたり散らかっていたりしているの全然気にならない。むしろ乱雑な方が居心地がいい。でも、日本にいたらなんかちゃんとしなあかん気がしてくる。服も整えなあかんし、部屋も綺麗にせなあかん。それって俺にとっては結構苦しい。もっとぐちゃぐちゃが心地良い。オーストラリアでは裸足でスーパーを歩いている人とか、きったないキッチンとか平気であります。それが俺にとってはありがたい。素の自分でいてもいいなって思えるんですよね。

おっと、本題から外れてしまいました。最近、日本人の悩みをよく聞くんですけど、もしかしてみんなの勘違いコレじゃね?ていうのが見つかったので解説していきたいと思います。

それはエロに対してです。

エロと聞いて何を思い浮かべますか?どんな印象を受けますか?どんなイメージを持ちますか?

最近悩んでいる人だいたいこのイメージが悪すぎるんですよね。エロ=卑猥と勘違いしていませんか?

全然違いますね。エロっていうのは性エネルギーです。

日々が充実している時や、お腹いっぱいで満足している時は、あんまりセックスしたいと思わないです。なのに、疲れてたり、腹減ってたりしても性欲だけは湧くんですね。これっておかしくない?

まず、エネルギーは補充して使うもんじゃないと言うことです。ポケモンとかモンハンとかドラクエやりすぎです。HPとかないから。エネルギーはアクセスするもんです。

どれだけ疲れていても、腹減ってても性欲湧くんですよ?わかる?性エネルギーの正体は臨時エネルギーです。その強力なエネルギー源を否定している人は、そりゃエネルギー不足しますよね。

性=生なんですよ。生きるためのエネルギー。誰しも両親がセックスして産まれてきてるんですよ?分かってる?性の否定は産まれてきたことの否定やから。自分の存在の否定ですよ。

つまり、エロ=生きるためのエネルギーにアクセスする方法ということですね。

それをいつまでもエロ=卑猥と思っているから疲れるんですよ。

このフィルター外れてないと何もうまくいかないです。

例えば、痩せたいと思ってる人がいますよね。このフィルター外れてないと、痩せる=健康的な身体になること。健康的な身体は魅力的な身体。魅力的になるとは性を意識する。よって、性=卑猥と思っていると、「痩せる=卑猥になること」と思っているので、痩せたいと思っていても痩せれない。ブレーキを踏みながらアクセル踏んでいる状況です。痩せれるわけないよね。

他にも、恋愛下手な人とか、身体売る人とか、性のトラブルある人はもちろん、人生で悩んでいる人だいたいこれな気がするんやけど、どう?

三大欲求とか言うけど、セックスせんでも全然生きていけるよ。ただ、性エネルギーの否定は死活問題になるからね。

僕たちが目指すものは快楽じゃなくて、崇高です。砂糖、アルコール、セックス、タバコ、ジャンキーなもの、お金、成功、地位、名声、とかが生活の中に頻繁にある人は注意ですね。要するに一回経験すると、もっとほしい、もっとほしい、となるものです。全部必要なもんなんですよ、でも中毒になったらダメですね。うまいこと付き合っていかないと。

ロックンロールみたいな生活目指さんでええねんで?キラキラで生きなくていいねんで?

そうじゃなくて崇高。日々の小さな幸せ噛み締めて生きましょう。

ちょっと何が言いたいか分からんくなってきましたけども、性エネルギー否定したあかんで。ということでした。日曜日最高。デイオフ最高です。今日はサーフィンしてBBQしてきます。みんなも楽しもうね!

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