ぶらり

はじめに
飛行機が4時間の遅延を経て離陸した。英語での遅延説明があまり理解できず、エンジントラブルという言葉が聞こえた為に機内での揺れがいつも以上に大きく感じた。隣のタトゥーまみれのお兄さんは3秒に1度のため息をつき、前の席のおじさんのピーナッツを食べるペースが上がっている。赤ちゃんは駄々をこねはじめ、CAさんは機内食の注文に追われている。ピリピリとした空気が流れる。そりゃあ俺だって今回のバリ旅行は楽しみにしていたけど、俺は急な予定があるわけでもない。イライラすることも無く、眠気と少しの空腹に堪え、飛行機に乗っている。ただ、無事にバリ島に着いてくれと祈っているだけだ。このまま墜落でもしたらどうなるのだろうか。この人生に後悔はなかったのだろうか。ふとそんなことを考えた。オーストラリアに来て価値観が大きく変わった。幸せをもっと追求したいと思うようになった。でも、それがなにか分からず1人で車中泊をして苦しんだ時もあった。今となっては隣でスヤスヤ寝ている大切な人と一緒にリゾート地バリ島に向かっている。これ以上の幸せがあるだろうか。もし、このまま墜落してもやり切った気持ちもある。意味があった人生だった。そう言えるだろう。しかし、この溢れるばかりの熱源を放っておくのがもどかしい。例え万人の心に響くものでなくとも、せめて誰かを勇気づけたい。そう思ってしまった。俺の全てを伝えるのは本当に難しい。家族や親友でさえも気を使ってしまう俺は、全てを見せずに終わっている。この湧き上がる熱を伝えきれずにいる。思い出は心のうちに閉まっている方が美しいこともある。誰かに話すと意味が変わってくる。インスタで投稿してしまうと安いものになる。だから、せめて書き記そうと思いここに思いの丈をぶつけているのである。

大学四年間は沖縄でサーフィンをして過ごし、卒業後はオーストラリア。事実だけ並べると良い響きだ。しかし、別にこの二十三年間、歓喜に至るほどの成功体験がある訳ではない。ただ自分とはどういう人間なのか、何が好きで何が嫌いなのか、幸せとはどういうことなのか。特別な事は俺の中では何も無く、自分と向き合っているうちに沖縄の四年、オーストラリアの一年を終えようとしていたまでだ。しかし、そんな俺もオーストラリアで過ごす中で、もしかしたら人生はこういうことかもしれないなという「答え」と呼ぶにはあまりにも面白くない発見をいくつかしたので、今回思うままに書き殴ってやろうと思ったわけだ。これから書く内容は自分に嘘偽りない、恥ずかしいような煮えたぎるような熱源だ。アホみたいにでっかい夢と何気ない幸せから学んだことを言葉という古くて不動の媒体で記してみようと思ったわけです。

すごいやつ
俺はずっと「すごいやつ」になりたかった。小学生のときはスポーツできるやつがすごかった。テストで100点取るのもすごかった。中学の時はリーダーシップが取れるやつ。それから勉強とスポーツができるやつ。高校になれば、スポーツ強豪校で偏差値の高い事がステータスだった。社会人は知らないけど大手企業とかが恐らくすごいんやろう。だからその造られた「すごいやつ」を目指して周りの目をこれでもかというほど気にして、嫌いな自分を歯を食いしばって耐えて、そんなに好きでもないサッカーと、なんでしてるか分からない勉強をアホみたいに継続してきた。その先に何かあると信じていた。大学になってあらゆる選択を自分でするようになった。そしてこの継続の先に何もないことを悟った。やってきた事は意味がなかったと気づいた。しかし、これをすぐには受け入れられない。そんな受け入れられない自分をそのまま受け入れよう、捉え方を磨き、積み上げたものを崩していこうと決めた。中学・高校で「常識」や「普通」を紡いできた俺にとって真逆のプロセスとなった。常識を疑い、普通を組み換え続けた。積み上げることは何でも難しい。しかし、それを崩すのはさらに難しかった。自分とは何か訳がわからなくなることもあった。それでも自問自答を続け、少しずつ柔らかく優しく強くなっていく気がした。実際はどうかは分からないが今まで生きてきた甲斐があったと言い聞かせ、嫌な事や一見無駄そうな出来事に意味を持たせることにした。すごいやつにはなれんくても自分を少し認めてあげられるようになった。

悩み
俺は基本悩みを他人に相談するというアイデアがない。そもそも悩みを相談しても解決策が思い浮かぶとは思わない。答えは自分の中にあることの方が多いからだ。誰かに相談した時決まってこう言われる。「考えすぎじゃない?」
あぁ、こいつもバカやった。考えてへんよりよっぽどマシやわ。と染み込んだ愛想笑いを浮かべいつもの言葉。あー、そうやな。頑張ってみるわ(^^) なんかもう嫌な人間やなと自己嫌悪になるのをまた許してあげて今日も生きてみることにしたのです。

クソ雑魚
俺は俺をただしているだけやねんけど、褒めてもらえる事も多少はある。その中で気になるのはありきたりなこういう言葉。俺もヒッチハイクやってみたいと思っててん! 私、男やったら絶対起業したわ。ワーホリ羨ましいな。俺もお金があったら、時間があったら、環境が、、、、うるせえよ。一生そうやって言ってろ。いつまで余裕ぶっこいてんねん。思い立ったら即行動。別にすぐに最終ゴールじゃなくてええやん。ノートに計画を書き出す。インターネットでそれについて調べてみる。妄想にふけって楽しくなる。何でもええやん。YouTubeから流れる意味のないショート動画とインスタという小さい世界での幸せアピールがそんなに大事ですか?
とエラソー書き終えた後、最初に開いたアプリはインスタグラム。笑
一生懸命やってきたつもりやったけどここまでこれたのは運と環境のおかげ。支えてくださった皆様ありがとうございます。まだまだですが頑張ります。

伏線
この何とも言えない重く黒い気持ちが、この皮肉にもやけに明るい月光が、歯を食いしばって耐えたこの1日が、あの瞬間があって本当に良かったと心から思える日はいつか来るのだろうか。俺は知ってる。その伏線が綺麗に回収されるそんな日はきっと来ない。ただ、だからと言って全てが無駄なわけではない。その中の1つの些細な気持ちが、小さな悔しさが、懐かしいあの匂いが何かに繋がっている。いや、繋がっていると信じたい。信じて今日も1ミリだけ前に進もうと、もがくまでです。残念ながら人間に過去を変える力はないのです。あるのは過去の意味を変える勇気です。そのわずかに鈍色に光ったものを希望というのかもしれません。だからこの残酷な今を生きるしかないようです。なんとまあ大変なことか。

世界
突然すぎるけど、普段のこの何気ない時間がほんまに美しいと思う。車に反射する夕焼けと夏の終わりを告げる鈴虫の鳴き声。まだじんわり明るい地平線帯がモナベールの街をオレンジに染める。囁き合っている木々と遠くで鳴り響く力強い波の音。これにさえ気づけたらどれだけの争いが減るのだろうか。どれだけの人が救われるのだろうか。幸せは近くにある、いつもそこにある。後は観察力を深めて気づく事である。悲しいかな、しかし人間はすぐに忘れてしまう生き物である。だから定期的にそのエナジーをチャージできる場所に、自分にとって素直になれるお気に入りの場所に行く事。スマホとノイズキャンセル付きのイヤホンをベットに投げ捨て、感じる世界に少し身を委ねてみましょう。

馬鹿みたいな夢
今の夢はまずオーストラリアにもう一年おること。出来ることを全力でする。サーフィン、英語、ファームの仕事。それとは別に「素直になること」「自分に優しくすること」という目標もあるが、それはまた別のお話。そこそこのお金が貯まったらその後、3ヶ月のヨーロッパトリップをしたい。ついでにヨーロッパで25歳の誕生日を迎えたい。それからヨーロッパの“自分をそのまま受け入れる”という姿勢を学びたい。お金の使い方や仕事との向き合い方も。新しい価値観を手に入れその後はニュージーランドでワーホリをしたい。ここでもサーフィンと英語とファームを満喫と発展させ次は何をしようかと思いにふけって一年過ごしたい。ニュージーランドでは自然あふれる場所でゆっくりとじんわりと自分と愛する人を大切にして過ごしたい。終盤で26の誕生日を迎え帰国。夏になったらもう一度ワーホリをしたい。気に入ったヨーロッパの国があればそこで、無ければまたオーストラリアに来たい。そこではもっと沢山の人を巻き込んで一緒に幸せ作りをしたい。歳はおそらく28くらいになっているだろう。まだ旅をしたからったら続けてもいいし、結婚してもええかもな。アジア圏やアフリカも行ってみたい。そこそこ落ち着いたら京都の田舎で農業がしたい。仕事は総合レジャー施設が創りたい。老若男女が楽しめる宿泊兼自然体験施設。雇用もして、都会で疲れた人を癒せる施設にしたい。近くで畑もして作った野菜でレストランも開きたい。自然体験教室も開きたい。サーフィン、キャンプ、釣り、山登りなどを体験できる施設にしたい。もちろん大人も参加可能。そこで子供と一緒に走り回りたい。夜になればキャンプファイヤーをして火を取り囲んでそれぞれの馬鹿げた夢を馬鹿みたいに広げて妄想にふけりたい。満点の星空に願いをかけて、明日のささやかな希望を胸に眠りにつきたい。この夢のために今は我慢するという阿呆な考えは捨てて今も全力で楽しむ。謙虚に素直にワクワクにかけ続ける。そんな毎日を生きていきたい。

うっとしいな
友達がまたしょーもないことをしている。自分の容姿に自信のある女はティックトックやインスタで踊っている。YouTuberもそこまでしてまでチャンネル登録者増やしたい?というバカなこと。俺の考えについてこれるやつを探してたけど、もう諦めて斜に構え続けることを選んだ方が早いらしい。全部分かってくれるやつなんておるわけない。都合良くピンチに現れるヒーローはいない。だから、一部を共にできる仲間がおる事に感謝して時々このひねくれた男と酒でも飲んでくれたら幸いです。

サーファー
波がそんなに綺麗じゃなくて良かった。サーファーたるもの綺麗な波を見たらいてもたってもいられなくなり、海へ走り出す。を今日はしたい気分じゃないから。あんまり良い波じゃないから、ていう言い訳ができる方が楽。でも、その波で上手に乗っているサーファーを見ると、俺もあれくらいできるかな、なんて考えてしまう。なかなかめんどくさい性格やな。朝の砂浜は冷たくて裸足になると気持ちいい。浜辺の穴からカニがでてきてこちらを覗いている。後ろにはブロンドヘアの水着女があるいていて、その奥には腹を太らせた男が釣りをしている。その先にそびえ立つのは崖と無理やり建てた家。人間と自然の境目。あぁ、俺は確かにオーストラリアにいる。最近はそんな事が感じれなくなってきている。いや、まだ感じれている方か。世の中正解が多すぎる。自由を求めて来た俺やけど最近は正解の声がうるさくなってきた。もっとテキトーでええで、て言うとるねんけど。、、、ここで言葉に止まってしまった俺はまた正解を探していたらしい。近くの穴からもカニがでてきた。俺が手を近づけるとすぐに引っ込んだ。本能のまま生きたらよろしい。そんなことを言われた気がした。

ほぇ〜
生き苦しさは沖縄におってもオーストラリアにおっても感じる。ただ中三の頃から感じてたあのモヤモヤの正体が何なのか年を重ねて初めて分かった。だからオーストラリアに来いなんて軽率なことは言わへん。考えすぎやろ、て言うてくるやつが嫌いやったし、分かる、て言うてくるやつが嫌いやった。お前に何がわかるねん。俺は誰のことも何も分からん。昔からの付き合いのやつも新しい発見がある。やから分かりたいとは思ってる。分かってあげたいと思うその心が大事なんちゃうの?分かった気になって大人やから経験したからってエラソーに語ってくれるな。そこに何の疑問もなく社会に浸透できた人って幸せやと思う。俺は中学生の時に持った疑問と未だ戦ってる。あなたもグローバルな人材に、という謳い文句を見て当時エリート気取ってた俺は心奪われた。あの日から何となく海外に行きたいと思ってた。そう思えばエリート気取りが結果いまの俺を形作ったのは皮肉な話だ。海外に行けば全てうまくいくって本気で信じてた。確かに日本の資本主義社会、というか幸せ見せ合いごっこから離れて心が軽くなったのは事実。でも22年日本に住んだ生粋の日本人である俺は未だにそいつを感じる時がある。そいつは逃げても追いかけてくる。答えは海外じゃなくて自分の中にあると知った。海外は確かにきっかけを与えてくれる。色んな生き方を、色んな可能性を示してくれる。でも、やっぱり自分と見つめ合わなあかん。自分と本気で向き合わなあかん。みんな、沖縄ええな、海外凄いな、て何も知らずに言うけれど、ただ本気で向き合った結果。いや、確かに運もあったけど。俺からしたら自分と本気で向き合わず、既存の幸せをインスタに乗っけて、これが幸せです。て自分の気持ちに蓋をして、そっちの方がむしろ苦しいやろうと思うわけです。

日本と俺
自由な国日本。日本は豊かな国だと、オーストラリアにきてなお思う。隣の韓国だって兵役があるし、ましてや隣国は北朝鮮だ。北朝鮮と韓国の仲はよく、紛争が起こることはないと聞く。でも、いつだって少しばかり緊張感があるのではないだろうか。中国だって隣国は沢山あり、内部でも台湾、香港と色々分かれている。難しいことは分からないけど、まとめてチャイニーズと呼ぶことは避けたい。大国アメリカでは生まれや血が理由で戦争を強制されたり軍に行かなければならないという過去を持った人もいるらしい。そんな過去や背景を気にせず移民を受け入れるオーストラリア。不思議な場所だ。戦争も隣国も気にしなくていい日本。あるのは資本主義によって作られた社会。良い大学をでて良い会社に行ってお金で幸せを買いましょうという文句に疑問もなく踊らされている人がいる日本。そこに疑問をもつものの諦めて順応する人、順応できず苦しむ人。
俺は既存の幸せなんかに興味はない。iPhone14プロも、MacBookもいらない。インスタグラマーなんかにはなりたくない。これでもかと言うほど幸せアピールをして生きたくはない。ありのままの自分を受け入れて、当たり前のことに感謝して、何気ないことに幸せを感じたい。日本の豊かさと便利さがもたらす苦しさを抱えてそれでもなお、素敵な部分に注目して生きていきたい。

バリ島
バリはどんなところなのだろう。その疑問が少し解決すると共に沢山の疑問を増やしてバリトリップを終えることになった。バリでは経済はどのようにまわっているのだろうか。というのが一番大きな疑問である。バリ島はもともと自然溢れる豊かな島だったと思う。今でもその素敵さを残し発展してきている。しかし、海外からのサーフブランドやレストランなどが増え、もともとあったバリ本来の良さが失われつつあるのかもしれない。プランテーション農家のパラドックスのように「お金」という価値観を得たことで資本主義社会に無理やり放り込まれたようなものだ。さらにスマホ・SNSの普及でバリ人に不安を植え付ける?実際にはどうなんだろう。日本の方がお金や地位に固執しているような気がする。しかしいずれは今の日本のようにメディアが力をもち、それに翻弄される人達の住む島になるのではないか。もし可能ならば資本主義社会と素敵なバリの自然との見事な融合を見てみたい。現実問題難しいだろうが。今のバリの良さが残っているうちに旅行に行く方がいいかもしれない。発展とは豊かさを目指して起こる。しかし、それとともに最も大切な自然や文化、価値観までも変えてしまうことに繋がる。またそれと同様に個人の成長も新しい価値観を見つけると共に以前の価値観を失ってしまう。来てもなお素敵なバリ島であるが、バリに幻想を抱いていた以前の自分にはもう戻れない。

仲間
インスタのフォローワー数が650人に達しようとしている。なんとまあこの嫌いな社会に随分飲み込まれたらしい。当たり前やけど今のところ全てをわかってくれる人は現れない。いつまでも俺は誰にでも取り繕って生きていくんやろう。誰にも期待しないそういう人生やろう。その中でも一緒にいると色んなことを忘れさせてくれるやつがおる。新しい発想をくれるおもろいやつがおる。一緒におると安心させてくれるやつがおる。ああ僕幸せです。みんなが大好きです。みなさんどうか長生きしてください。

バナナブレッド
初めてきたパン屋のバナナブレッドが美味しくない。トースト具合も中途半端でぬるくて、妙な甘さが苦手だ。
お気に入りのパン屋が突然潰れた。店の中はすっからかんになって、ここが何屋だったのかもわからなくなっていた。ここのバナナブレッドはオーストラリアで食べたもののなかで一番美味しかった。店の休みの前日に行けば、余ったパンをいくつかくれる優しいスタッフがいた店だった。
働いているファームで仲の良かった同僚が辞めた。いつもぶっきらぼうに指示を出してきて初めは仲良くなれないと思った。嫌な事があると顔にでるオーストラリア人で、基本時に機嫌は悪く見える人だった。でも本当は傷つかないように壁を作っている繊細な人だと知った。時々垣間見る悪戯っぽい笑顔が結構好きだった。
友達のお母さんが亡くなった。昔から良く知っている人だった。優しくて常にしゃんとした人だった。俺はオーストラリアにいて直接会いに行くことも、その友達を元気づけることも、そばにいてあげることもできなかった。出来ることは日本の方をむいて手を合わせることくらいだった。
別れはいつも突然くる。その時になってはじめて失ったものの大きさに気づく。もうあのバナナブレッドは食べれないし、あの同僚の雑な指示は受けれないし、あの優しい人には二度と会えない。その存在にどれだけ自分が支えられていたか後から分かる。だからこそ会いたい人に会いたい時に会うべきやし、電話したい人に今電話すべきやと思う。人生には必ず別れが付きものやし、受け入れて前に進むしかないんかと思うと辛いけど、その切なさを噛み締めて今を生きるのも悪くはない。
このバナナブレッドはあの店より美味しくなかったけれど、バナナ独特の雑味がそれらを噛み締めるのに充分苦く、妙に記憶に残った。

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